人智を超える!?人間を越えたものを描いた映画を観て、我々はなにを感じるか?
突然だが、
実際には数字も文字も現実には存在しない
人間は理解しやすいように存在や情報を単純化する生き物
物質の存在を証明するものは時間だけであり、時間なしでは存在もない
と、言われてどう感じるだろうか?
これを読んで
「そのとおりッス!」
「前からそう思ってたッス!」
という高尚な読者はここから先の記事は読まなくても良いかもしれない。
むしろ読み進めることによって貴方の高尚なIQが下がってしまう恐れすらある。
一方で、
「え?どういうこと?」
「分かるような分からないような…」
「5回読んだけどどうやらこれは日本語で書かれた文章ですねこれは。ええ」
という方はぜひ今回の記事を読み進めて頂きたい。
今回の記事のテーマは
「人智を超えたもの」
だ。
まずは、簡単に使ってしまった
「人智」
という言葉の意味について調べておこう。
じん‐ち【人知/人×智】 の解説
人間の知恵。人間の知能。「―を尽くす」「―の及ぶところではない」
(goo辞典より)
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BA%BA%E7%9F%A5/
つまり人智を超えたものというのは、
人間の知能を超えたもの
を意味するのだろう。
ここでまずは人智を超える前に
別の例を紹介しておきたい。
私は映画作品が好きでいくつか観てきているが、その中にはあまり好きではない展開がある
ここではそのうちの2つのケースを挙げてみよう。
ケース1)「頭がいい」悪者が倒されるパターン
・頭のいい悪者がなにか企てる
・だがその企みには「意外な盲点」があり、完全なアリバイが覆されていく…
この「意外な盲点」というのは、例えば別のあまり頭の良くない登場人物による些細な行動だったり、頭のいい人が抜けがちな「人間的な感情」がキーとなるようなパターンがあるだろう。
こういう作品を見ると、私はこう思う
「…コイツ結局頭良くないじゃん!」
と。
頭は良いのかもしれないが、その分弱点を生み出しているのだ。
まぁ実際いますよね、頭は良いのかもしれないけどそのぶん人として何かが欠けてるんじゃないか!?みたいな
おっと誰か来たようだ…
また、次のような例もある
ケース2)論理的に頭が良い人の解説パターン
・天才○○みたいな主人公が登場し、すごいことをやってのける
・あとからその過程を解説する。驚く周りの一同、そ、そこまでアイツは考えていたというのか…!?
これは探偵ものに多そうなイメージだ。
一見すごい考えに見えたものの、きちんと順を追って論理的に考えていくと「なるほどね」となるパターンである。
こういった「頭の良さ」「天才性」は今回の記事ではまったく扱わない
前者の例はIQが高いというよりはプライドが高く、視野が狭い例と言える
後者の例はIQが高いというよりは観察力が高い例と言えるかもしれない。
みなさんの周りにもいっぱいいるような
「頭の良い人」
ではなく、
「人智を超えた」
存在について、今回の記事では扱うことにする。
誰でもすぐできる!「頭の良い人になる方法」!
これはまったく余談だが、ここで突然みなさんに授けたい「知恵」をご披露しよう。
それは、
「明日からでもできる!頭が良さそうに見える秘訣!」
である。
それは「口を閉じる」ということ。
なんだそんなことと思うだろうか?
けど今日から注意して見て頂きたい
特に映像作品の中では顕著だが、
アホっぽい人はだいたい口が開いている
知的な人はだいたい口が閉じている。
私もおよそ4000人ほど調査したが、うち3937人はこの統計に当てはまっているので間違いないだろう。
残念ながら統計を取っていた時の私の口が開いていたのか、データを保存し忘れてしまったことはとても残念だが…
「説明できない」人智を超えた世界
さて、具体例や余談でだいぶ紙面を使ってしまった。
ではいよいよ「人智を超えた」世界へと旅立とう。
結論から言うと、人智を超えたものを私なりに簡潔に表現するなら
意味が分からない
理解できない
である。
人間の脳で意味が分かるもの理解できるものは、全然人智を超えていないのだ。
つまり、人智を超えたものは
「○○で△△なので、すごい」
と論理的に説明できるものではない。
説明できないところに、人智を超えた世界がある。
映画「トランセンデンス」に見る"理解できない"世界
ここからは具体的な映像作品を2つ見てゆこう
1つ目はジョニー・デップ主演の近未来SF映画、「トランセンデンス」である。
この作品では人工知能を研究する科学者ウィルが、自分自身のデータ(意識?)をコンピューターにアップロードしてしまう。
しかもそこからインターネットにつながることによって爆発的に(?)進化を遂げていくという内容だ
そう、つまり「意識を持った人工知能」についての話である。
ここからの話はネタバレにあたるので、未視聴の方は遠慮頂きたい
↑ウィル博士は常に人相が悪い。一体何があったというのか。
そして口はしっかりと閉じられている。
※ここからネタバレあり※
映画終盤、ナノマシンを操るウィルは研究施設から霧のようなものを発生させていく
一つ一つのナノマシンにはすべてウィルの意識が宿っているのだ。
霧は雲と化して世界中に広がり、雨となり大地に降り注ぎ、浸透していく。
このシーンを見た私は
なるほど!進化したウィルは自然と一体化したのか!
と唸った。
そして思わずもう一つ呟いた。
ウィルは雲になった。これぞクラウド化…!!
……
…
人類のテクノロジーのレベルはまだ天候・気候などをコントロールできないが
ウィルは天候や気象をもコントロールする存在になったわけである。
どうやって?
それはもはや人間には理解できない。
これこそが「人智を超えたもの」の例だろう。
ちなみに作中では人間側の登場人物がやたらとウィルを「危険な存在」と考えている。
人類が滅ぼされるのではないかと…。
しかしウィルは自然と化しても特になにかする訳ではない。
ウィル自身にしか分からない意図があるのだろう。
視聴者にも多くは明かされないまま、映画は終わる。
人智を超えたものだから説明は不要なのだ。
この映画のラストはとても美しい。
映画「LUCY」に見る"理解できない"世界
とあるアクシデントに巻き込まれたルーシーは、通常10%ほどしか使用されていないと言われている
脳の活動量が大幅にアップ!
すると色々とんでもないことが起きてしまう、というとにかくすごい作品である(色んな意味で)
ちなみにこの記事の冒頭で紹介した「数字も文字も現実には存在しない~~」という話は実際にルーシーが語った内容だ。
↑やはりここでもしっかり口を閉じている。頭良さそうに見えるね!
作中で語られる「脳が覚醒したことによる変化」は次のとおり
20%→身体能力向上、他言語の理解
30%→電磁波が目に見える(可視光線よりも高周波が見える)
40%→他者を物理的にコントロール
60%→空間・重力の制御
参考)https://diskdisk.link/mov-lucy-review
これだけ見てもなかなかインパクトがあるが、80%、100%と高まった先にあるものは…気になった人は実際に作品内で体験しよう。
さて、このように「マジかよ!」という現象が起きまくるこのLUCYという作品だが
巷では
「ファンタジーのような作品」
「途中から笑えてくるわ」
など、一種のトンデモ映画として知られている(そこはまぁ同意しますが)
しかし今回のテーマをもとに、改めて考えてもらいたい。
脳が覚醒すると、スマホの電磁波が見えて内容も理解できるのか?
重力を支配できるのか?
そんなわけがない!と決めつけてしまって良いのだろうか?
実際にそんな能力を得たことがない私たちが理解できないだけなのかもしれない。
いちおう確認しておくがいまこの記事を読みながら脳を50%ほど使っている人がいたら、まず
寝ろ
と言いたい。
話を戻そう。
「トランセンデンス」「LUCY」どちらのケースにおいてもある意味共通するのは
「理解できない世界」を描こうとしている点
少し頭が良いといった「知恵の延長線上」ではなく、明らかに飛躍した先にあるもの…まさに「人智を超えたもの」と言えよう。
今回の記事を書くにあたって、他にも例えば「2001年宇宙の旅」のラストなども取り上げようかと思っていたが
ここまででもなかなかのボリュームになってきたかと思うので、またの機会で。
映像作品の中には他にも人智を超えたものを描こうとする野心的な試みが見られるだろう。これまでも、これからも。
なんだか今回だいぶ真面目な記事になってしまったな…。
人智を超えたまとめ
結局長々と記事を書いてきたが、今回の私の主張を人智を超えた知能から語るとすると
形而上学的で包括的な創造主の視点から見た、
刹那的な知的生命体のカオスであり、かつ量子ゆらぎから見たブラックホールの中
のようなものである。
え?意味が分からない?
オッケー!
というわけで今回の記事を終わりとしよう。ササッ(逃げる音)
謎だらけ…?『NOPE(ノープ)』ネタバレ感想を思いつくままに
2022年8月26日 14時
今朝観た映画がなかなか印象的だったので、思いつくままに感想を書こうと思う。
他の作品ももちろんそうだが、なんとなくこの作品は特に
・最初に自分がどう感じたか
・どう解釈できるか(ネットの感想など)
どちらも面白いと思うからだ。
その作品は、『NOPE(ノープ)』!
あの「ジョーダン・ピール」監督の最新作だ。
『アス』『ゲット・アウト』の監督と言うと分かる人がいるかもしれない
ちなみに私は『ゲット・アウト』を友人に勧められたが
その友人はちょっと変だ(褒めてる)
そしてその変な友人から「変な映画だ」と勧められたのが『ゲット・アウト』
やはり変な映画だった(褒めてる)
それ以降「この監督は他にもやってくれるに違いない」と感じており、
いよいよ最新作の公開の日が来たというわけだ。
※以下、『NOPE』のネタバレを少し含む内容となります※
※ここからネタバレあり※
続きを読む真のドス黒い悪は誰だ!?第一回悪のカリスマ決定戦!「エンド・オブ・デイズ」
映画にはとても魅力的で主人公やヒーローが登場する。
私たちの深層心理や願望、理想を表現したかのような主人公たちが時には傷つき、悩み、そして成長してゆく…これが映画の一つの魅力と言っても良いだろう。
そして、ヒーローという存在が光を放つ時、対象的に広がる「闇」がある。
悪の存在だ。
私が大好きな作品の一つでもある「アンブレイカブル」がとても分かりやすい。
主人公のデヴィッド・ダンは特別な存在だが、その意味を引き立たせるためためにサミュエル・L・ジャクソン演じる「イライジャ」という最高のヴィランがいる。
デヴィッド・ダンとイライジャは対極の存在、あるいは表裏一体。
映画において「悪」の存在はとても重要なのだ。
では、
「最もドス黒い悪」
は誰だろう?
そしてどのような存在なのか?
ドス黒い悪とは?
ゴッサムという街だけではなく、バットマンの倫理観をも破滅に追いやる「ダークナイトのジョーカー」
ジェダイという存在を抹殺するため、入念な計画を立ててオーダー66を実行したシスの暗黒卿「パルパティーン」
どちらもとても印象的な悪と言えるだろう
ブラッド・ピットの「セブン」に出てきた犯人も相当な悪かもしれない。
けれど、今回の記事ではこれらの作品は扱わない。
もちろんどれも素晴らしい作品だし、素晴らしい「悪」の要素を感じることはできる。
うーん、でもちょっと違うのだ。
ど派手なことをやってみたり、なんかすごいことをやってのけたり
破壊したり驚かせたり…
今回の記事を書くに辺り「悪とは何か!?」を脳内会議にかけたところ
およそ数分で答えは出た。
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
が真のドス黒い悪なのだ。
なんかそんな感じでお願いします。
ジェダイの転覆とかヒーローやイデオロギーへの反発と言ったものは「革命」だ。
こう考えてみても良いかもしれない。
時と場所が変われば、そのエネルギーを少し違う形で使えば
彼らは英雄になったのかもしれない。そうは言えないだろうか?
思想や願望を強く抱き、使命感を振りかざす存在は善であろうと悪であろうとある意味においては「美しい」
それに対して、
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
はそんなスケールの大きな話ではない
崇高な思想でも熱意や使命感でもない。
何かを変えるわけでもないような、「ちょっとした悪」こそが一番こ汚いというか、悪というイメージに合ってるように感じてきたのである。
悪いやつは人間界ではなく、悪魔の世界にいた
前置きはこれくらいにして、
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
トップの座に君臨する存在、それが今回取り上げる人物になる。
『エンド・オブ・デイズ』に登場するサタン
コイツが真のドス黒い悪なのだ!
コイツは1999年に復活し、神が作った世界を変えようとしている
あれ?やろうとしてることはかなり壮大だ。
ただ、映画の中で実際行われたのはシュワルツェネッガーとの怪獣バトル…おっと、1対1の白熱した戦いであった。
まぁ、その目的やらなんやらは一旦脇に置こうではないか。
真のドス黒い悪による、悪の行為は作品前半の2シーンだ。
悪の行為その1:憑依してからまずは…
まず1シーン目は物語の冒頭部分だ。
イケメンおじさんがサタンが憑依し、乗り移った直後である。
おじさんとおじさんとお姉さんと、3人で食事しているシーンだが
途中イケメンおじさんがトイレに立つ。
そしてちょうど用を足した直後に背後からサタンが憑依!
表情もキュッと締り、イケメンがさらにイケメンになった瞬間である。
サタンが人間界に君臨し、まずはじめに何をしたのか!?
女の胸を揉んだ!!!!
イケメンおじさんと女の関係性は不明だが、もう一人のおじさんがドン引きしていたのでもちろんこれは驚きだったのだろう(そりゃそうだ)
いきなり胸を揉む…
そう、
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
というシーンだ!
そしてサタンは
「これはセクハラとかじゃないっす!」
とばかりにキッと睨みつけ、お店から立ち去る…
同時に、レストランが爆発する!!!
私は当時この爆発シーンが衝撃的だった
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
と感じた。
この一連のシーンはほぼ会話も無いまま進む。
同行者に何か言われたとか、お店とトラブったとか警察呼ばれたとか
セクハラの証拠隠滅をしたかったわけではない。
つまり、特に理由もなくレストランを爆破させるのだ
別に爆破させなくても良かったものを、わざわざ爆破させたのだ。
ここまでこの記事を読んできた方にも、伝わってきたのではないだろうか
真の悪が持つ恐ろしさとは、見せつけとか復讐とか革命とかではなく
「単にそうしたかったからでーす」
という些細な行為あると思う。
悪の行為その2:少年に対しての小さな囁き
次のシーンはスケボー少年のシーン。
ニューヨークの街で、不運にも振り向きざまにサタンとスケボーに乗った少年がぶつかるという出来事が起きる。
出来事自体はとても些細な事だ。
人口の多い街であれば日常的に起きるようなことだろう。
少年は「どこ見てる!」「バカ野郎」などと悪態を付く。
これもまた、街なかでは時々見られる光景かもしれない。
悪態を付かれたサタンはその時どうしたか?
特になにもしない。
動じることもなく、少年の着ているシャツ(なぜかサタンの世界と書かれている)を褒め、少しうなずく。
ただ、それだけである。
「いいシャツだな」
問題は少年がスケボーに乗って走り去ってからだ。
サタンと少年の距離が少し離れ、何事もなく普段の日常が続くと思いきや…数秒の間を開けて
「hey kid...(坊ず…)」
とサタンはつぶやく。誰にも聞こえないような小さい声で。
もちろん少年は声が聞こえない距離にいる…はずなのだが
悪魔の力なのか、なぜかそのささやきが聞こえる!
スケボー少年は驚いてふと後ろを振り返るが、そのためトラックが近づいていたことに気づかない。
前を向き直したときにはもう遅い。
トラックと正面衝突!
というシーンだ。
言葉での説明だと少し分かりにくいかと思うので
動画もどうぞ(轢かれたあと変な音が入ってるけど気にしない気にしない)
「サタンに歯向かうものや楯突くやつには制裁を」
であれば、面と向かってなにか力を行使することもできただろう。
けど、あえてその方法を取らずに少年がスケボーで走り去ってから実行する
しかも囁き一つで人生を狂わせる。
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
と思わせる、ドス黒シーンなのだ。
結局、悪とはなんなのか?
正義に対する悪
と対義語のような意味合いもあるが、やはり今回の記事を書く中で強く思ったことは
小賢しい
せこい
地味
なものこそ、悪なんじゃないかということ。
サタンのくせに、やること地味だなー!セコいなー!
ではなく、
サタンレベルにまで悪が極まってるから、やることがセコいのである。
途中私は、
「サタンは神が作った世界を変えようとしている。やろうとしてることはかなり壮大だ。その目的やらなんやらは一旦脇に置こうではないか」
と書いた。
このように悪が大きなことを掲げると、対になる善の存在が現れ妨害される。
戦いが起き、だいたい悪は滅ぼされてしまう。
このエンド・オブ・デイズでも、結局サタンのやることが派手になればなるほどシュワルツェネッガーの本気スイッチがオンになる。
追われに追われ、挙げ句にはロケットランチャーを打たれるなどボッコボコの扱いである。
そう、悪は目立つと叩かれるのだ。いつの世も。
とある宇宙人も、人口を半分に減らすという大仕事を手掛けたことにより
結局ありとあらゆる方法でボッコボコにされた。
こういった目立つ悪は、一瞬の存在でしかないが
目立たない悪(の行為)
の中にこそ、悪の本質が眠っているのではないか…そう思えてならない。
さて、今後サタン並みにドス黒い悪には出会えるのだろうか。
すでにサタンのレベルに達してしまっているので、人間レベルでは太刀打ちできない気はするが…
今回はこれまで。
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記事を読んで
「分かる!共感した~!」
という方はぜひコメントもしくはTwitterでお知らせ頂けると
とても嬉しいです
みんな!思い出してあげて!~ジェニー・リンドから観た「グレイテスト・ショーマン」
「マジ怖え…」
投げ出されたら困る、破産だ僕はすべてを懸けた-- 私もよ
MARVELの代表的なチーム映画?『アイアンマン3』でしょ!夢のチーム戦が見れる傑作
・パーツごとに分かれる
・スーツを着る→着させる
・空中救出の名シーン
・最後のトドメは…?
2.パーツごとに分かれる
全ての映画はこの3種類の要素から出来ている!『ストーリー/設定/見せ方』のお話
今回は、映画をたった3種類の要素から分けてみるという
思い切った提案をしてみたい。
もちろん、これは偉い人が言ったとか、学会で証明されたとか
神が定めた…とかではもちろん無く
私の勝手なこだわり
なので、あしからず。
「へぇこういう観点から考えてみると面白いかもな」
と少しでも感じてもらえれば幸いです。
無理に思わなくてよろしい(笑)
といいうわけで、まずはその3種類の要素について解説したい。
ある映画のタイトルが『○○○○』だとすると…
1.○○○○はストーリー型映画である
2.○○○○は設定型映画である
3.○○○○は見せ方映画である
これだ。
例も挙げながら、順番に見ていこう
ストーリー型映画:あれがどうなっていくのか…が面白い!
さっそくで申し訳ないのだが、実はストーリー型はさらに2つに分かれる
1-1.結末へと収束していく物語
1-2.予想外の展開そのものが楽しい物語
が、別にどちらのイメージでも良い。
前者の例でいつも思い出す、分かりやすい例は
だと思う。
指輪を捨てに行く
という明確なストーリーの方向性がある
FF10も同じである
(映画じゃないけど、、)
予想外の展開をする場合も、「真の敵はコイツだ!」のように次の目的地が明確になる場合が多く
「今主人公たちはここに向かっている」
が具体的もしくは抽象的に描かれているわけだ。
JOJOの第3部も「いざエジプトへ!」という方向性がありますよね
(映画じゃないけど、、)
ストーリー型の特徴と言って良いのか分からないが、
きちんとストーリーがゴールに到達すること
が必要になるのがこのタイプ。
見る側はゴールに辿り着くイメージを持ちながらも、収束していく展開に心を動かされるのだ。
感情移入して一緒に心を運んでもらっている感じとも言えるだろう。
ミステリー、冒険もの、ヒーローものもこのタイプかもしれない。
なのでどこにも着地しない話は、あまりない。
鬼ヶ島に行こうとしたが海が渡れず浜辺で断念した、という桃太郎の話は、なんだかつまらなさそうである。
設定型映画:「これ」が絡むことでいったいどうなる!?
このタイプの映画はその世界観の中に何か異質な「あるもの」が入り込んでいる。
主人公だけ能力を使えるとか、人間の中に寄生虫みたいなのが紛れ込んでるとか…
最初に設定が与えられて、はいスタート
ここから展開してゆく出来事が面白い
このタイプは、あまりストーリーにオチを求めなくても良い気はする
(注:あくまで私の観点です)
最初に「わし、こんな設定を思いついたった!」が重要で、そしてこれが全て。
宅飲みにピザ買ってきたやつマジ大正解!みたいな感じである(そうなのか?)
代表例は色々挙げられる。
CUBE、SAW、TENET、シャマラン監督のVillage、OLD…
別に英単語一文字にこの傾向があると言いたいわけでは ない
漫画でいうと「DEATH NOTE」なんかもそうだ。
思いつくのは大変だが、そのアイデアからあとはどんどん広げていくだけ
予告だけで観たくなるような作品が多いかもしれない。
面白さを簡単な要素で説明できて、そしてその要素
赤ちゃんかと思ったら年寄りが生まれて若返る?とか
異星人が来たと思ったら難民だった!?とか
127人のジェット・リー!とか
全てこの設定型と言えるだろう。
ちなみに、このタイプはシリーズ化が難しいとも思われる。
もちろん例外もあるが、多くの作品がシリーズ化によって徐々に先細りしていくのは
「ビジネス的な意味で要望が強かったんだろうな…」
という気はする(個人の主観です)
言い忘れたが「127人のジェット・リー」というキャッチコピーだったが
実際そんなに出てはこない。
見せ方映画:監督の好み爆発!これが撮りたいんや!
最後に挙げる見せ方映画は、もっとも映画ならではと言えるだろう
「これが撮りたいんや!」
という絵(画?)から作品が作られているという考え方だ。
これまた私の過度な偏見だとは思うが、そもそもこのタイプの映画では時間が均等に流れていない。
撮りたいシーンと撮りたいシーンがあって、その間を動きでつなげているだけ
極端な言い方をすると、そうなる(すいませんさすがに極端でした)
私の好きな作品で言うと、マン・オブ・スティール
引用元)https://www.youtube.com/watch?v=k3FbG76tWeI
スーパーマンこと「カル・エル」が人類の前に登場するシーンなのだが
わざわざ上から降りてくる必要あるか?
神々しさを演出しているのか?
何故に逆光?
答えは一言
「これが撮りたかったんや!」
である。
引用元)https://youtu.be/rzM5e_KZ8ks
左右均等、周りはノイズの無い一面の砂漠にスーパーマンとロイス(ヒロイン)
なんだこのPVやらMVのワンシーンみたいな画は?
撮りたかったんだな…
と私はこういう場面に遭遇すると監督の魂をすぐ近くに感じる
映画館の座席で例えると、例えばJ-8に座っていても監督をK-9あたりに感じる。
今回挙げる3要素の中でも「もっとも映画的」なもの、言い換えると
映画でしか出せない
という"味"はまさにこの「見せ方」ならではの要素だと言えるだろう。
いかがだろうか?
「いやいや、○○○○はストーリーもあるし設定も斬新、それに印象的なシーンもあるよ」
という反論が四方八方から飛んできそうだが、
もちろんどの映画もこれら3要素は ある
ただ、
これは2が強めな印象だな~
あの作品は3に振り切ってるだろ!
みたいなバランスはあると思うのだ。
見る側の私達自身がこの3要素をどう感じるか?
また、その傾向から「この監督って設定好きだよね~」「ストーリー型じゃね?」など考えていくのも面白いと思う。
ちなみに私はザック・スナイダー監督が強烈な見せ方タイプだと思っている。
300もそうだしウォッチメンもジャスティス・リーグも…私が特にザック・スナイダー好きというのもあるが、モロにこの傾向が出てると思えて仕方がない。
さて今回は、映画の見方としてストーリー/設定/見せ方の3要素を挙げてみました。
何かの参考になれば幸いです。
では、また!
映画を見る際の自分ルール(当日朝~上映直前~終了後)
第一回なので、自己紹介的な内容と共に
「映画とは?」
のテーマで書いていこうと思います
とは言っても
「映画はこうあるべきだ!」
「全国民がこれを享受スべきである!」
みたいな話ではなく、あくまで
「僕はこういった点にこだわりを持っています~」
という内容になります。
決して
「この考えがわからないやつは 去れ!滅しろ!」
という排他的なものではございませんのでお間違えのないよう…
そして、このブログ全体のテーマにもなりますが
「分かる!そのこだわり!」
という方はぜひとも共感頂けると嬉しいです
そして共感ついでに拡散、口コミ、リツイート×10くらいお願いします(贅沢)
では、ここから自分ルールの説明です。
映画を見る際の自分ルール【当日朝】
まず、その日朝起きてから今日見る映画のことを考えます
これは毎回ではなく、数ヶ月あるいは数年待ったような待望の作品の場合ですね
ああ、これまでは「あと○○日」と思っていてずっとその日は来ないのではないかとすら思えていたが…本当に来たのだ…来てしまったのだこの日が!(●回繰り返す)
という感じです。
(●回繰り返す)の部分は期待度に合わせて数値が設定されます。
アベンジャーズエンドゲームの時なんて3000回でしたね
また、トイレは少し気合を入れて行きます。
理由は上映直前の項目で…
ちなみに予告は見る派見ない派と分かれますが
僕は期待作の場合すでに何回も観ているため、当日は特に観ません。
若干いつもより早足で映画館で向かいます。
映画を見る際の自分ルール【上映直前】
さて、映画を見る時間にもよりますがここで気をつけていることは
水を最低限しか取らない
ということです。
今日はなんの日だったでしょう?
水を飲む日ですか?いいえ違います
期待していた映画をついに見る日(たいてい公開初日)です。
最高のコンディションになっているか、再度体に問いかけます。
もちろん毎回「期待のあの作品!」とは限りません。
一応観ておこうかな程度の作品であることももちろんあります
それでも水は最低限にしておきます。
理由は、当然トイレに行きたくなると嫌だからです(当然である)
そもそもちょっと数時間断水していたからと言って、倒れたりしないし
今までミネラルウォーターの幻影が上映中に視界にチラついたこともありません
生きて映画を終えれば水はいくらでも飲める!
この精神で臨みましょう。
注)
もし真似をして気分を悪くした方がいたらすいません
映画館には余裕を持って開場15~20分前には到着するようにします。
そして席についたら精神統一です。
引用元)https://www.irasutoya.com/
映画を見る際の自分ルール【上映開始!】
この記事を読んでいる方に質問です。
映画で一番集中する時はいつですか?
クライマックスの盛り上がりでしょうか?
謎を解くために登場人物と一緒に考える時?
それともあの暗がりからなにか飛び出してきそうな時?
僕が一番集中する時間、それは
開始後からの5分間
です。
映画が始まったその瞬間から中心も背景も隅も、目を動かして全てキャッチしようと努めます。
映画のストーリーにはいくつかのパターンがあると思いますが
「スタートとラストが同じかもしくは対比構造になっている」
「スタートの場面がクライマックスに出てくる」
というものがあります。
後者の例でいまぱっと思いつくのはミッション・インポッシブル3でしょうか。
いきなりトム・クルーズの頭に爆弾が!?から始まるあれです。
なるほどこのシーンに繋がるのか!
この場面にはこういった意味が!
の感動を得るために必要なことは
「最初からむっちゃ集中する」
ということなんです。
ずっと集中してたら疲れないかって?
大丈夫、途中から作品の世界に引き込まれて意識せずとも集中できます
引き込まれないものもありますが…(小声)
引用元)https://www.irasutoya.com/
映画を見る際の自分ルール【終了後】
さて、いよいよ最高の時間が終わりました。
劇的な体験をしたのか
感動に浸りまくっているのか
あるいは「あー、うーん、そういう感じ?」となっているのか
いずれにせよ映画の時間は終わりました
MARVEL映画好きの人はたいていそうかもしれませんが、
エンドロールが終わるまで席は立ちません
この習慣は僕がMARVEL好きになる前から付いていたので
どの映画でも一応じっと座って余韻を味わっています。
決してスタッフの名前の中に知り合いの名字を探すゲームなどをしてるわけではありません
音楽が印象的な作品だった場合、音楽クレジットを集中してみてたりします。
エンドロール長ぇなと思うことももちろんあります(笑)
映画を見る際の自分ルール【帰り道】
映画館を後にして、帰路についている際に映画感想ブログやTwitterでのコメントを調べまくります
やっぱりあのシーンっすよねぇー!
とテンションが上がることもあれば
へええ…あれってそういう意味だったんだ…!!
と気付かされることも多いです
いまいちピンと来なかった作品でもこの作業は行います。
その理由というか、意味についてはまた別の記事で…
特に良かった作品の場合は帰宅後も良い気分
寝る時まで今日観た映画のことを思い出し「テーマはなんだったのか」「本質は?」などあれこれ考えます。
今日も良い1日でした、、、
、、
。
以上、
今映画の自分ルールとして持っているのはこんな感じですかね。
友人に話すと呆れられたり引かれることもありますが(白目)
もしかしたら「これは分かる!」という方がいるかもしれません。
拡散、口コミ、リツイート×20
でお願いしますね。
では、今回はこのへんで!