真のドス黒い悪は誰だ!?第一回悪のカリスマ決定戦!「エンド・オブ・デイズ」
映画にはとても魅力的で主人公やヒーローが登場する。
私たちの深層心理や願望、理想を表現したかのような主人公たちが時には傷つき、悩み、そして成長してゆく…これが映画の一つの魅力と言っても良いだろう。
そして、ヒーローという存在が光を放つ時、対象的に広がる「闇」がある。
悪の存在だ。
私が大好きな作品の一つでもある「アンブレイカブル」がとても分かりやすい。
主人公のデヴィッド・ダンは特別な存在だが、その意味を引き立たせるためためにサミュエル・L・ジャクソン演じる「イライジャ」という最高のヴィランがいる。
デヴィッド・ダンとイライジャは対極の存在、あるいは表裏一体。
映画において「悪」の存在はとても重要なのだ。
では、
「最もドス黒い悪」
は誰だろう?
そしてどのような存在なのか?
ドス黒い悪とは?
ゴッサムという街だけではなく、バットマンの倫理観をも破滅に追いやる「ダークナイトのジョーカー」
ジェダイという存在を抹殺するため、入念な計画を立ててオーダー66を実行したシスの暗黒卿「パルパティーン」
どちらもとても印象的な悪と言えるだろう
ブラッド・ピットの「セブン」に出てきた犯人も相当な悪かもしれない。
けれど、今回の記事ではこれらの作品は扱わない。
もちろんどれも素晴らしい作品だし、素晴らしい「悪」の要素を感じることはできる。
うーん、でもちょっと違うのだ。
ど派手なことをやってみたり、なんかすごいことをやってのけたり
破壊したり驚かせたり…
今回の記事を書くに辺り「悪とは何か!?」を脳内会議にかけたところ
およそ数分で答えは出た。
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
が真のドス黒い悪なのだ。
なんかそんな感じでお願いします。
ジェダイの転覆とかヒーローやイデオロギーへの反発と言ったものは「革命」だ。
こう考えてみても良いかもしれない。
時と場所が変われば、そのエネルギーを少し違う形で使えば
彼らは英雄になったのかもしれない。そうは言えないだろうか?
思想や願望を強く抱き、使命感を振りかざす存在は善であろうと悪であろうとある意味においては「美しい」
それに対して、
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
はそんなスケールの大きな話ではない
崇高な思想でも熱意や使命感でもない。
何かを変えるわけでもないような、「ちょっとした悪」こそが一番こ汚いというか、悪というイメージに合ってるように感じてきたのである。
悪いやつは人間界ではなく、悪魔の世界にいた
前置きはこれくらいにして、
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
トップの座に君臨する存在、それが今回取り上げる人物になる。
『エンド・オブ・デイズ』に登場するサタン
コイツが真のドス黒い悪なのだ!
コイツは1999年に復活し、神が作った世界を変えようとしている
あれ?やろうとしてることはかなり壮大だ。
ただ、映画の中で実際行われたのはシュワルツェネッガーとの怪獣バトル…おっと、1対1の白熱した戦いであった。
まぁ、その目的やらなんやらは一旦脇に置こうではないか。
真のドス黒い悪による、悪の行為は作品前半の2シーンだ。
悪の行為その1:憑依してからまずは…
まず1シーン目は物語の冒頭部分だ。
イケメンおじさんがサタンが憑依し、乗り移った直後である。
おじさんとおじさんとお姉さんと、3人で食事しているシーンだが
途中イケメンおじさんがトイレに立つ。
そしてちょうど用を足した直後に背後からサタンが憑依!
表情もキュッと締り、イケメンがさらにイケメンになった瞬間である。
サタンが人間界に君臨し、まずはじめに何をしたのか!?
女の胸を揉んだ!!!!
イケメンおじさんと女の関係性は不明だが、もう一人のおじさんがドン引きしていたのでもちろんこれは驚きだったのだろう(そりゃそうだ)
いきなり胸を揉む…
そう、
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
というシーンだ!
そしてサタンは
「これはセクハラとかじゃないっす!」
とばかりにキッと睨みつけ、お店から立ち去る…
同時に、レストランが爆発する!!!
私は当時この爆発シーンが衝撃的だった
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
と感じた。
この一連のシーンはほぼ会話も無いまま進む。
同行者に何か言われたとか、お店とトラブったとか警察呼ばれたとか
セクハラの証拠隠滅をしたかったわけではない。
つまり、特に理由もなくレストランを爆破させるのだ
別に爆破させなくても良かったものを、わざわざ爆破させたのだ。
ここまでこの記事を読んできた方にも、伝わってきたのではないだろうか
真の悪が持つ恐ろしさとは、見せつけとか復讐とか革命とかではなく
「単にそうしたかったからでーす」
という些細な行為あると思う。
悪の行為その2:少年に対しての小さな囁き
次のシーンはスケボー少年のシーン。
ニューヨークの街で、不運にも振り向きざまにサタンとスケボーに乗った少年がぶつかるという出来事が起きる。
出来事自体はとても些細な事だ。
人口の多い街であれば日常的に起きるようなことだろう。
少年は「どこ見てる!」「バカ野郎」などと悪態を付く。
これもまた、街なかでは時々見られる光景かもしれない。
悪態を付かれたサタンはその時どうしたか?
特になにもしない。
動じることもなく、少年の着ているシャツ(なぜかサタンの世界と書かれている)を褒め、少しうなずく。
ただ、それだけである。
「いいシャツだな」
問題は少年がスケボーに乗って走り去ってからだ。
サタンと少年の距離が少し離れ、何事もなく普段の日常が続くと思いきや…数秒の間を開けて
「hey kid...(坊ず…)」
とサタンはつぶやく。誰にも聞こえないような小さい声で。
もちろん少年は声が聞こえない距離にいる…はずなのだが
悪魔の力なのか、なぜかそのささやきが聞こえる!
スケボー少年は驚いてふと後ろを振り返るが、そのためトラックが近づいていたことに気づかない。
前を向き直したときにはもう遅い。
トラックと正面衝突!
というシーンだ。
言葉での説明だと少し分かりにくいかと思うので
動画もどうぞ(轢かれたあと変な音が入ってるけど気にしない気にしない)
「サタンに歯向かうものや楯突くやつには制裁を」
であれば、面と向かってなにか力を行使することもできただろう。
けど、あえてその方法を取らずに少年がスケボーで走り去ってから実行する
しかも囁き一つで人生を狂わせる。
「コイツ、悪いやっちゃなー!」
と思わせる、ドス黒シーンなのだ。
結局、悪とはなんなのか?
正義に対する悪
と対義語のような意味合いもあるが、やはり今回の記事を書く中で強く思ったことは
小賢しい
せこい
地味
なものこそ、悪なんじゃないかということ。
サタンのくせに、やること地味だなー!セコいなー!
ではなく、
サタンレベルにまで悪が極まってるから、やることがセコいのである。
途中私は、
「サタンは神が作った世界を変えようとしている。やろうとしてることはかなり壮大だ。その目的やらなんやらは一旦脇に置こうではないか」
と書いた。
このように悪が大きなことを掲げると、対になる善の存在が現れ妨害される。
戦いが起き、だいたい悪は滅ぼされてしまう。
このエンド・オブ・デイズでも、結局サタンのやることが派手になればなるほどシュワルツェネッガーの本気スイッチがオンになる。
追われに追われ、挙げ句にはロケットランチャーを打たれるなどボッコボコの扱いである。
そう、悪は目立つと叩かれるのだ。いつの世も。
とある宇宙人も、人口を半分に減らすという大仕事を手掛けたことにより
結局ありとあらゆる方法でボッコボコにされた。
こういった目立つ悪は、一瞬の存在でしかないが
目立たない悪(の行為)
の中にこそ、悪の本質が眠っているのではないか…そう思えてならない。
さて、今後サタン並みにドス黒い悪には出会えるのだろうか。
すでにサタンのレベルに達してしまっているので、人間レベルでは太刀打ちできない気はするが…
今回はこれまで。
----------------------------
記事を読んで
「分かる!共感した~!」
という方はぜひコメントもしくはTwitterでお知らせ頂けると
とても嬉しいです